愛すべき不登校兄弟たち

親のエゴを手放し信頼する

アドラー心理学「嫌われる勇気」「幸せになる勇気」

 心を落ち着かせるために色々と本を読んでいる。

そのなかでアドラー心理学の解説書の「嫌われる勇気」と「幸せになる勇気」がよかった。

 

「嫌われる勇気」が論理編で「幸せになる勇気」が実践編という位置づけ。

「嫌われる勇気」を読んでも、なかなか難しいが、「幸せになる勇気」まで読むと腑に落ちるところがある。

 

全部を理解するのは無理だが、これは良いとう箇所が3つあったので、自分なりに落とし込んでみた。

 

  1. ライフスタイル(世界観)の再選択

    ライフスタイルとは、自分が世界をどう見ているか、また自分のことをどう見ているか。

    問題は世界がどうあるかではなく、自分がどうあるかである。

    世界はあくまでも主観的なものなので、不登校がよくないと考えれば苦しくなるし、学校へ行かない人生もありだよね、と思えば楽になる。

    本の題名をもじって言うと「学校に行かない勇気」となるが、勇気という言葉がつくように、ライフスタイルを変えるには勇気がいる。

    偏差値の高い高校・大学に行き、大きな会社へ入り、安定した家庭を持つ、という一般的な親の願う人生を歩まなくても良い考える。

    仮に子供が世間的にクソみたいな人生を送っても、生きていけばそれでOKと考える。

  2. 課題の分離
    他者(子供や世間)の課題へは介入しない。
    誰の課題かを見分ける方法はシンプルで、「その選択によってもたらされる結末を最終的に引き受ける人は誰か?」を考えればよい。

    ・学校に行かないのは「子供の課題」
    ・その子供を心配するのは「親の課題」
    ・世間が不登校の家庭についてあれこれ言うのは「世間の課題」
    ・世間体を気にするのは「親の課題」

    つまり、「子供を心配する」と「世間体を気にする」は親の課題だから、自分でコントロールができる。
    他者(子供や世間)の課題は気にしない。
    学校へ行くのも行かないのも子供次第で、その結果を引き受けるのは親ではなく子供。

    こう書くと、無責任な親と思われるかもしれないので、少し補足すると。
    子供は独立した個人であるので信頼し、そのままを受け入れ、必要があれば援助する。
    子供がここに存在するだけで「ありがとう」と思う。

  3. より大きな共同体の声を聴け
    学校という場所にいるのが困難になったら、より大きな共同体の声を聴く。
    人間社会という共同体で考えるら、学校は目の前の小さな共同体に過ぎない。
    学校に固執せず、より自由な生き方を選ぶ。

 

嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え

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幸せになる勇気――自己啓発の源流「アドラー」の教えII

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